日田家具の誕生とその歴史

木工産業の発展とその背景

日田群立工業徒弟学校

  1. 周辺地域の豊富な森林資源を活用した産業の技術習得の場として、明治40年日田郡立工業徒弟学校(後の日田郡立工芸学校)が開校し、家具、漆、木工加工、竹工芸、下駄の各科を設
    け技術者の養成を行い木工産業の下地を作った。
  2. 戦前から洗濯板、もろぶた、丸盆等の生活用品やコマや木の椀をつくるロクロ技術を活用した荷車の車軸生産などが行われ、木工産業が発展してきた。

日田家具の誕生

日田家具の芽生え

  1. 戦後復員してきた若手職人たちが相次いで木工所を開設、従来技術を活用した新商品を次々と販売、売り上げも伸び家具産業の基礎を作った。
  2. 当時販売商品の中でも、ロクロ技術を活用した食堂用丸椅子が飛ぶように売れ、昭和20年代後半から大流行したスマートボール(パチンコと並ぶ遊戯)の椅子としても活用され、一大ヒット商品となった。

日田家具の産地形成と繁栄

  1. 昭和30年代に入り家庭用椅子、テーブル等も手掛けるようになり、生活の洋風化、高度成長期における所得の向上と相まって、リビング、ダイニング、応接セット等消費者ニーズにあった新商品を次々と販売し、販売額も大幅に伸び、全国でも有数の脚物家具産地となった。
    現在では、箱物(箪笥等)家具産地は大川、脚物(ソファー、テーブル等)家具産地は日田と称される一大産地として発展した。